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札幌地方裁判所 昭和42年(ワ)1146号 判決 1970年5月27日

原告

青柳吉郎

ほか一名

被告

垣下幸三

ほか一名

主文

被告らは各自原告らに対しそれぞれ金一二一万九、四〇〇円および内金一一一万九、四〇〇円に対する昭和四二年九月二一日から、内金一〇万円に対する昭和四五年五月二八日から、各支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの、その余を被告らの負担とする。

この判決は、第一項および第三項中の原告ら勝訴部分にかぎり、仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告ら

「被告らは各自原告らに対しそれぞれ金三六三万二、五一一円および右各金員に対する昭和四二年九月二一日から各支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら

「原告らの被告らに対する請求をすべて棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二、原告らの請求の原因

一、事故の発生

被告垣下は、昭和四二年六月二七日午後三時ころ、札幌市北一三条東七丁目原告ら居宅前路上において、同所に停車中の小型貨物自動車(札四・む・二七―五二以下本件事故車という。)を発進させた際、青柳智裕(以下亡智裕という。)を本件事故車の左後輪で轢過し、亡智裕に頭蓋骨骨折、脳挫傷などの傷害を負わせた結果、同日午後三時一五分ころ、札幌市北一九条東八丁目谷村医院において、亡智裕を右傷害により死亡させた(以下これを本件事故という。)。

二、本件事故についての被告らの責任

1  被告垣下について

被告垣下は、本件事故車を所有していたものであるところ、みずからこれを使用して被告日糧製パン株式会社(以下被告会社という。)の製造するパンを販売店に運送する業務に従事していたものであり、したがつて本件事故車を自己のために運行の用に供していたものである。

2  被告会社について

被告会社は、被告垣下をして同被告所有の本件事故車を使用し、被告会社が製造するパンをその指定する販売店に運送する業務を行なわせていたものであり、本件事故車の車体には被告会社の商号および商標が表示され、被告会社が本件事故車に関する自動車損害賠償責任保険の保険契約者となつていた。したがつて、被告会社も本件事故車を自己のために運行の用に供していたものである。

三、本件事故による損害

1  得べかりし利益の喪失

(一) 亡智裕の稼働可能期間およびその間の収入

亡智裕は、昭和四〇年一月八日生れで、死亡当時二歳五か月余りの男児であつたところ、厚生大臣官房統計調査部刊行昭和三九年簡易生命表によると、右の年令にある男子の平均余命は六七歳である。一方、亡智裕の智能の良好な発育程度やその家庭環境ならびに家庭の資産状況などに鑑みると、亡智裕は将来大学を卒業することができたはずである。したがつて、本件事故が発生しなければ、亡智裕は、大学を卒業して就職することになる満二二歳に達する年の四月から前記平均余命の範囲内において満六〇歳に達するまでの間稼働しえたものというべきであり、その間の亡智裕の収入を求めると次のとおりである(交通事故損害賠償訴訟の実務二三〇頁所収「大学卒業賃金労働者の賃金月平均」による)。

<省略>

(二) 亡智裕の生活費

総理府統計局昭和四〇年度家計調査年報によると、札幌市における世帯人員四・〇五人の世帯における一か月の実支出額は五万八、八七九円であるから、一人あたりの一か月の実支出額は右世帯全体の実支出額を世帯人員数で除した一万四、五三八円であり、したがつて亡智裕の場合も一か月一万四、五三八円の生活費を必要とするものというべきである。してみると、前記稼働可能期間中の亡智裕の生活費の総額は、右の一か月の生活費の額に稼働可能期間中の月数(これは前記のように四五三月である。)を乗じた六五八万五、七一四円となる。

(三) 亡智裕の純収益およびその現価

前記のような亡智裕の総収入からその生活費の総額を控除した二、三五三万六、六八六円が亡智裕の稼働可能期間中における純収益であるから、これを年間の純収益に換算すると六二万三、四八四円となる。したがつて、亡智裕は、前記稼働可能期間中、毎年右の年間の純収益を取得することができたはずであり、亡智裕がその死亡時においてこれを一時に請求するものとして複式ホフマン計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると、亡智裕の得べかりし利益の現価は七九六万五、〇二二円となる。

(四) 原告らの相続

原告らは亡智裕の父および母であるから、亡智裕の死亡によつて、右の亡智裕の得べかりし利益の喪失による七九六万五、〇二二円の損害賠償請求額をそれぞれ二分の一にあたる三九八万二、五一一円ずつ相続により承継した。

2  葬儀費用

原告らは、亡智裕の葬儀に際し、その費用として三〇万円を支出したから、原告らはそれぞれの二分の一にあたる一五万円ずつの損害をこうむつた。

3  慰謝料

亡智裕は二歳余という可愛いさの増す年頃にあつたものであり、原告らはその成長を楽しみにしていたものである。したがつて、亡智裕が不慮の事故で死亡したことにより原告らははかり知れない精神的苦痛をこうむつたが、これを金銭をもつて慰謝するとすれば、原告ら各自に対しそれぞれ一〇〇万円が相当である。

4  弁護士費用

原告らは、本件訴訟の提起にあたり弁護士彦坂敏尚および弁護士五十嵐義三に本件訴訟の追行を委任したが、その報酬として右両弁護士に対して五〇万円支払う旨約し同額の出損を余義なくされているから、原告ら各自その二分の一にあたる二五万円ずつの損害をこうむつた。

5  一部弁済

原告らは、自動車損害賠償責任保険より三五〇万円の支払いを受けることになるので、その二分の一にあたる一七五万円ずつを原告らの各損害賠償請求額からそれぞれ控除する。

四  結論

よつて、自賠法三条にもとづき、原告らは、被告ら各自に対し原告らがそれぞれ本件事故によつてこうむつた損害の合計額である各三六三万二、五一一円と右各金員に対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日である昭和四二年九月二一日から各支払いずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金とを支払うことを求める。

第三、請求の原因に対する被告らの答弁

一、被告垣下

1  請求の原因一および二1は、いずれも認める。

2  同三1のうち、(一)における亡智裕が昭和四〇年一月八日生まれで死亡当時二歳五か月余りの男児であつたことおよび(四)における原告らが亡智裕の父および母であることは認めるが、その余はすべて争う。

3  同三2は認める。

4  同三3のうち、亡智裕が二歳余りであつたことは認めるが、その余は争う。

5  同三4は争う。

二、被告会社

1  請求の原因一は認める。

2  同二2のうち、被告会社が被告垣下をして同被告所有の本件事故車を使用し被告会社製造のパンを指定販売店に運送する業務を行なわせていたこと、本件事故車の車体には被告会社の商号および商標が表示され、被告会社が本件事故車に関する自動車損害賠償責任保険の保険契約者となつていたことは認めるが、その余は争う。本件事故は、被告垣下が自己所有の本件事故車により自己の業務執行中にひき起したものであるから、本件事故当時、被告会社は本件事故車を自己の運行の用に供していたものではない。

3  同三1のうち、(一)における亡智裕が昭和四〇年一月八日生まれで死亡当時二歳五か月余りの男児であつたことおよび(四)における原告らが亡智裕の父および母であることは認めるが、その余はすべて争う。

4  同三2は認める。

5  同三3のうち、亡智裕が二歳余りであつたことは認めるが、その余は争う。

6  同三4は争う。

第四、被告らの抗弁

一、自賠法三条但書にもとづく免責

1  被告垣下は、本件事故車の運行に関し注意を怠らなかつたものであり、したがつて本件事故の発生については被告垣下に過失はなかつた。むしろ、本件事故は、青柳弘子が亡智裕に対する監護義務を尽さなかつた過失にもとづくものである。すなわち、亡智裕は、本件事故が発生する直前、原告ら居宅二階の窓から停車中の本件事故車の近辺にペンをおとし、それを拾うべく右居宅から外へ出て、本件事故発生の際には、本件事故車の前輪と後輪との中間あたりの車体の下にもぐりこんでペンを捜していたものである。このことは、被告垣下は本件事故車を発進させるに際しハンドルを右に切つたのに対し、亡智裕は本件事故車とほぼ直角に、頭を車体の下に入れ、足を車体の左側につき出して倒れた状態で本件事故車の左後輪のみによつて頭部を轢過されたという事実によつても裏付けられる。なぜなら、もし亡智裕が本件事故車の前方にいたとすれば、このような体勢にあつて左後輪のみで轢過されることは車輪の内輪差を考えると起りえないことだからである。

ところで、自動車を運転する者としては、自動車の発進の際、常に車体の下に人がもぐりこんでいることを予見して、車体の下を見分すべき注意義務までは課せられていないから、被告垣下が本件事故車を発進させるに際し車体の下を見分することなく、したがつて亡智裕が車体の下にいることに気づかずに発進したとしても、それをもつて被告垣下の過失ということはできない。他方、亡智裕は、いまだ二歳五か月余りの弁別能力のおぼつかない幼児であつたから、その母親である原告青柳弘子としては、亡智裕が外へ出る際は、これに付添うなどして亡智裕を監護すべき注意義務があつたところ、亡智裕がペンを捜しに外出することを知りながらこれを放置していたため、亡智裕は本件事故車の車体の下にもぐりこむ結果となつたものであり、逆にこのような結果は原告青柳弘子が亡智裕に対する監護義務を尽くしてさえいればたやすくこれを回避することができたものといえる。したがつて、本件事故は、もつぱら原告青柳弘子の過失にもとづくものというべきである。

2  本件事故車には、何ら構造上の欠陥や、機能の障害はなかつた。

二、過失相殺

仮りに、右一の免責の主張が認められないとしても、原告青柳弘子にも、前記のとおり、亡智裕に対する監護義務を尽さなかつた過失があるから、損害賠償額の算定にあたつては、その過失を斟酌すべきである。

第五、被告らの抗弁に対する原告らの答弁

一、抗弁一1のうち、亡智裕が、本件事故の発生する直前、原告ら居宅二階の窓からペンをおとしたためそれを拾うべく外出したこと、その際原告青柳弘子はそれを知りながら亡智裕に付添わなかつたことおよび亡智裕が二歳五か月余りの幼児であつて原告青柳弘子がその母親であることは認めるが、その余は争う。亡智裕は本件事故車の車体の下にもぐりこんでいたものではなく、本件事故車の前方にいたものであつて、被告垣下としては本件事故車を発進させるに際しその前方の安全を確認すべき注意義務があるにもかかわらず、それを怠つたがために亡智裕に気づかなかつたのであり、したがつて被告垣下の過失は免れない。

二、同一2は認める。

三、同二は争う。

第六、証拠関係〔略〕

理由

一、本件事故の発生について

本件事故の発生に関する請求の原因一の事実は、当事者間に争いがない。

二、被告らの責任について

1  被告垣下について

被告垣下の責任に関する請求の原因二1の事実は、当事者間に争いがなく、したがつて、被告垣下は本件事故車を自己のため運行の用に供していたものである。

2  被告会社について

被告会社の責任に関する請求の原因二2の事実のうち、被告会社が被告垣下をして同被告所有の本件事故車を使用し被告会社製造のパンをその指定する販売店に運送する業務を行なわせていたこと、本件事故車の車体には被告会社の商号および商標が表示されていたことおよび被告会社が本件事故車に関する自動車損害賠償責任保険の保険契約者となつていたことはいずれも当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、本件事故車は日頃から被告会社に置かれ、被告会社の作業員などが常時被告会社の作業などのために使用していたものであること、本件事故は被告垣下が被告会社製造のパンを販売店に運送してのち被告会社へ帰る途中原告ら方に私用で立ち寄つた際に発生したものであることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

これらの各事実に照らして考えてみると、本件事故車は被告会社がもつぱらその製造するパンを運送するために、被告垣下を通じて、全面的に自己の支配下に置いていたものと認められるのであり、本件事故が、たまたま被告垣下の私用目的のために本件事故車が使用されている際にひき起されたものであるとしても、それとても被告垣下が被告会社製造のパンをその指定する販売店に運送しての帰途であつたことを考えれば、本件事故発生の際本件事故車はなお被告会社の運行支配下に置かれていたものというべきである。したがつて、被告会社も、被告垣下とならんで、本件事故車を自己のため運行の用に供していたものということができる。

三、被告らの免責の抗弁について

被告らは、「亡智裕は本件事故車の車体の下にもぐりこんでいたのであつて、被告垣下はこれに気づかず発進したため本件事故をひき起したものであるが、自動車運転者としては発進に際して車体の下まで点検する注意義務はないから、被告垣下には過失がない。本件事故は、二歳五か月余りの幼児である亡智裕を放置していた母の原告青柳弘子の過失によるものである。」旨主張し、原告らは、「被告垣下は、本件事故車の前にいた亡智裕に気づかず発進したため本件事故をひき起したものであつて、明らかに被告垣下に前方の安全確認を怠つた過失がある。」旨主張するので、この点について判断する。

〔証拠略〕を合わせ考えると、次の各事実が認められる。

本件事故が発生した原告ら居宅前の道路は南北に通ずる道路であるが、被告垣下は本件事故が発生する約一〇分ほど前に原告ら居宅前路上に車体の最前部が原告ら居宅のほぼ南端、東体の最後部が原告ら居宅のほぼ中央にあたる位置に、原告ら居宅から平行に四、五〇センチメートル離して本件事故車を駐車させ、所用のため原告ら居宅に入つて行つた。亡智裕は、そのころ、原告ら居宅二階正面北寄りの窓からペンをおとし、それを拾うために原告ら居宅正面出入口から外に出たのであるが、近藤栄は本件事故発生の直前北方から本件事故発生現場へ向つて原告ら居宅前の道路を歩行していた際、亡智裕が原告ら居宅正面出入口から路上に出て、本件事故車と原告ら居宅との間隙を通り本件事故車の前方に向うのを目撃し、その直後、被告垣下が、前記正面出入口から路上に出て、本件事故車の後部を回つて前方に向かい、右側の扉を開けて乗車し、すぐに発進するのを目にした。ところで本件事故車は右ハンドルの小型貨物自動車であつて、運転手席に座つたままの姿勢では、身長が約九一センチメートルの亡智裕に関しては、車体前部バンパー右側付近からは一・九三メートル、正面フロントガラスからは二・七四メートルの範囲内がいわゆる死角に入ることになる。被告垣下は、発進に際し、本件事故車の運転手席から前方を見とおしたが、人影など見あたらなかつたので、ハンドルを右に切りながら発進したところ、本件事故車の車体一台分の長さほどの距離を進行した時、亡智裕の頭部を左後輪で轢過した。その際、亡智裕は、頭部を本件事故車の進行方向に向け、車体にほぼ平行にうつ伏せに倒れていた。なお、本件事故車の前部バンパー中央部左寄りの部分、タイロツトの部分、左後輪内側の部分にそれぞれ泥が剥離した痕跡があつた。

以上のとおり認められ、右認定に反する被告垣下本人尋問の結果の一部は証人近藤栄の証言に照らして信用することができないし、他に右認定をくつがえすに足りる証拠もない。

ところで、右認定の事実によると、亡智裕が原告ら居宅正面出入口を出てから本件事故車の左後輪で轢過されるまでの事態の推移はきわめて短時間のうちに生起したものであり、亡智裕が本件事故車の前輪と後輪との中間の車体の下にもぐりこんだとすれば、右の事態の推移状況および原告ら居宅正面出入口と本件事故車との位置関係などに照らし、亡智裕は原告ら居宅から外へ出た直後に車体の下にもぐりこんだものということにならざるをえない。ところで近藤栄は、本件事故車の後方から、亡智裕が原告ら居宅を出て駐車中の本件事故車と原告ら居宅との間隙を本件事故車の前方に向つたのを目撃し、しかもその直後被告垣下が本件事故車の後方を回つて前方に向うのを目にしているのであるから、もしその間亡智裕のような幼児がやにわに自動車の車体の下にもぐりこむような異常な、危険の大きい行動に出たならば、右のような目撃状況からして近藤栄としては当然そのような行為に気づくのが通常であると思われるのに近藤栄がそのような行動を目撃している事実はうかがえない。してみると亡智裕が原告ら居宅正面出入口から外に出た直後本件事故車の車体の下にもぐりこんだことを認めるに足りる特段の証拠も他に存在しない以上亡智裕が右のような行動に出たと認定することはかえつて不自然である。むしろ、前記認定のとおり、本件事故車の停車状況に加え、亡智裕が原告ら居宅正面出入口から外へ出て、本件事故車の前の方へ向つたこと、本件事故車の前部バンパー中央部左寄りの部分、タイロツトの部分および左後輪内側の部分の泥が剥離していたこと、本件事故車の運転手席からの前方の死角は約二ないし三メートル近くあること、被告垣下は死角範囲の安全の有無を確認せずに発進したことなどを総合すると、けつきよく、亡智裕は、本件事故車の運転手席からの死角の範囲内すなわち本件事故車の中央左寄りの直前にいたところを本件事故車の発進により倒され左後輪で轢過されたものと認めるのが相当である。なお、亡智裕が本件事故車の左前輪には触れず、左後輪で轢過された点については、前記認定のとおり、被告垣下は発進の際ハンドルを右に切つたのであるから、亡智裕は本件事故車とほぼ平行に倒れた状態で轢過されたものである以上、自動車の車輪の内輪差を考慮するならば、右のように左前輪では轢過されなくとも左後輪で轢過されることは当然おこりうることであり、このことをもつて亡智裕が本件事故車の前方にいたことを認定する妨げとなるものではない。

およそ、自動車運転者としては、駐車中の自動車を発進させるに際しては、自車進路方向について、単に運転手席から見とおしうる範囲内の安全を確認するのみでは不十分であつて、とくに貨物自動車で死角が広い場合には、さらに運転手席からは見とおしの不可能な死角の範囲内の安全をも自ら自動車の前方に回つてみるなどして確認すべき注意義務があるものと解すべきである。本件においては、前記認定のとおり、被告垣下は、本件事故車を発進させるに際し、運転手席から見とおしうる範囲内の安全の確認をしたのみで、本件事故車の運転手席からの死角の範囲に入る部分の安全を確認する措置は何らとつていないことが明らかであるから、前方の安全を確認する注意義務を怠つた過失は免れないものというべきである。

したがつて、その余の点について判断するまでもなく、被告らの自賠法三条但書にもとづく免責の主張は理由がない。

四、本件事故による損害額について

1  亡智裕の得べかりし利益の喪失による損害

(一)  亡智裕の将来の稼働およびその期間

亡智裕が昭和四〇年一月八日生まれで、死亡当時二歳五か月余りの男児であつたことは当事者間に争いがなく、原告青柳吉郎本人尋問の結果によると、亡智裕は順調に成育していたことが認められるところ、厚生大臣官房統計調査部刊行第一一回生命表によると、満二歳の男子の平均余命が六五・八一年であることは公知の事実であるから、亡智裕は本件事故によつて死亡しなければなお右の期間は生存することができたものと推認することができる。ところで、亡智裕が特別の知能ないし才能を有していたことをうかがうに足りる証拠もないから、前記のような亡智裕の死亡当時の年令および平均余命などに照らして、亡智裕は高等学校卒業後少くとも満二〇歳に達した時から満六〇歳にいたるまでの四〇年間、平均的企業において通常の労働者として稼働し収入を得ることができたものと推認するのが相当である。

(二)  亡智裕の収入

労働大臣官房労働統計調査部が昭和四二年四月におこなつた全国の産業の常用労働者一〇人以上を雇用する企業についての賃金構造基本統計調査にもとづく統計(昭和四二年版賃金センサス第一巻七三頁以下)によると、新制高等学校を卒業した男子労働者の二〇歳から五五歳にいたるまでの年令階級に応じた平均月間定期給与額および平均年間賞与およびその他の特別給与額として別表(B)欄および(C)欄に各記載されたものが得られることは当裁判所に顕著な事実であり、したがつて右 間内における年令階級に応じた年収は別表(D)欄に各記載のとおりとなる。一方、男子労働者の場合は、通常満五五歳に達するとそれまでの勤務先を停年退職して、再就職する事例の多いことは公知の事実であるから、亡智裕の場合も満五五歳に達した際再就職するものと考えるのが相当である。そして、前記統計によると新制高等学校を卒業した男子労働者が満五五歳で再就職した場合満六〇歳に達するまで(すなわち稼働年数零年から四年まで)の平均月間定期給与額としては、少くとも四万三、一〇〇円を得るものと推定されること(これは、稼働年数零年から四年にいたるまでのその稼働年数に応じて得ることのできる平均月間定期給与額の平均値である。)および平均年間賞与その他の特別給与額は平均月間定期給与額の約三倍にあたる額が支給されていることは、いずれも当裁判所に顕著な事実であるから、けつきよく亡智裕は満五五歳以降満六〇歳に達するまでは、平均月間定期給与として四万三、一〇〇円、平均年間賞与その他の特別給与として右の三倍にあたる一二万九、三〇〇円を得るものということができる。

(三)  亡智裕の生活費

厚生大臣官房統計調査部人口動態統計課作成の「人口動態統計」(総理府統計局編日本の統計一九六五年二三頁)によると、男子の平均初婚年令は約二七歳であること、総理府統計局作成の全国消費実態調査報告にもとづく人口五万人以上の都市の単身者世帯の一か月の家計収支統計(昭和三九年度)によると、三〇歳未満の独身男子の場合実収入の八割を生活費にふりむけていることは、いずれも当裁判所に顕著な事実であるから、亡智裕の場合も二〇歳から二七歳にいたるまでは独身で生活し、前記各収入の八割を生活費にあてるものと推測するのが相当である。

次に、総理府統計局作成の家計調査年報にもとづく昭和四一年度の人口五万人以上の都市平均勤労者世帯実収入階級別収入支出金額統計(労働大臣官房労働統計調査部編、労働統計年報一九六六年一一四表)によると、前記の各年収に対応する一世帯一か月の消費支出額が別表(E)欄に各記載のとおりであることは当裁判所に顕著な事実である。ところで、亡智裕が結婚して順次何人かの子供をもうけ、やがてその子供が成長して独立するなど家族構成の変化などに伴つて、亡智裕の生活費の世帯全体の生活費に対して占める割合が変化するものと予想されるが、右のような変化があることを考慮に入れ、さらに、消費単位指数表(労働省労災補償部編「交通事故等による労災保険と損害賠償」所収)の数値に照らして考えると、二七歳以降六〇歳にいたるまでの全期間にわたる亡智裕の生活費を算出するについては、右期間を通じて、世帯全体の生活費の四割と見積もるのが相当である。したがつて、右の割合にしたがつて計算すると、二七歳以降の亡智裕の年間の生活費は、別表(F)欄三段目以下に各記載のとおりである。

(四)  亡智裕の純年収

以上から明らかなとおり、前記(二)の年収から前記(三)の生活費をそれぞれ控除して得られる亡智裕の二〇歳から六〇歳にいたるまでの年令階級に応じた純年収は別表(G)欄に各記載のとおりである。

(五)  亡智裕の得べかりし利益の現価

亡智裕が前記(四)の純収益をその死亡時において一時に請求するものとして右純収益から複式(年別)ホフマン計算法(ホフマン係数は小数点五位以下切り捨て)により年五分の割合による中間利息を控除すると、右得べかりし利益の現在額は別表(I)欄に各記載のとおりであり、その合計額は六二六万四、六六九円となる。(なお、亡智裕の生年月日が昭和四〇年一月八日であることは前記のとおりであるから、亡智裕の死亡の日から稼働を開始する満二〇歳に達する日までの期間は正確には一七年六月余であるが、前記のホフマン係数の算出にあたつては、計算の便宜とかつひかえめな計算をするために、右の期間を一八年とした。)

(六)  過失相殺

亡智裕は二歳五か月余りの幼児であるが、本件事故の発生する直前、原告ら居宅二階の窓から本件事故車が停車している路上にペンをおとし、それを拾うために原告が居宅から外に出たものであること、その際母親である原告青柳弘子はこれを知りながら亡智裕に付添うなどせずに放置していたものであることは、いずれも当事者間に争いがない。これらの各事実にもとづいて考えてみると、二歳五か月余りという年令の幼児の弁別能力が十分なものではなく、このような幼児に対しては常に監護をなす必要があることは経験則上明らかであるから、亡智裕に対し母親として監護をなす義務を負う原告青柳弘子としては、亡智裕がペンを探しに路上に出ることを知つていた以上、これに付添うなどして十分監護すべきであつたものであり、また前記のような本件事故発生の経緯およびその状況に鑑みれば、原告青柳弘子がこのような監護義務を尽していたのなら本件事故も未然に防止しえたものと考えられ、この点において原告青柳弘子に亡智裕に対する監護義務を怠つた過失があつたものということができる。そして、原告青柳弘子のこのような過失は、損害賠償額の算定にあたつて原告側の過失として斟酌するのが公平の理念に合致するものというべきである。そこで、本件事故の発生についての前記のような被告垣下の過失や本件事故発生の経緯などの諸事情を斟酌すると、被告垣下と原告青柳弘子との過失の割合は被告垣下につき六割、原告青柳弘子につき四割と認めるのが相当である。したがつて、前記(五)の亡智裕の得べかりし利益の現価に右の割合で過失相殺をした三七五万八、八〇一円が亡智裕の得べかりし利益の喪失による損害である。

(七)  相続

原告らが亡智裕の父および母であることは当事者間に争いがないから、原告らは、亡智裕の死亡によりそれぞれ右損害額の二分の一にあたる一八七万九、四〇〇円の請求額を相続によつて取得したものである。

2  葬儀費用

原告らが亡智裕の葬儀に際しその費用として三〇万円を支出したことは当事者間に争いのないところ、原告らの社会的地位や収入などに照らして亡智裕の葬儀に要した右金額は相当なものということができる。そして、被告垣下と原告青柳弘子との過失の割合は、前記のとおりであるが、原告らは亡智裕の父および母であつて、このような身分関係に鑑みれば、原告らの一方の過失は、原告らの他方の請求についても等しく斟酌されるべきである。してみると、前記金額に対し前記過失の割合を斟酌して過失相殺をした一八万円が原告らの葬儀費用の支出による損害であり、特段の事情もないので、原告らはこれを平等に負担したものと推認することができるから、けつきよく原告らはそれぞれ九万円ずつの損害をこうむつたことになる。

3  慰謝料

〔証拠略〕によると、当時原告らには亡智裕を含めて二人の子供しかいなかつたところ亡智裕は発育も順調で、原告らはその成長を楽しみにし、将来は大学に入学させたいと望んでおり、原告らが亡智裕を本件事故により失つたことによつてこうむつた精神的苦痛は非常に大きなものであつたことを認めることができる。このような諸事情に前記のとおりの原告青柳弘子による原告ら側の過失を斟酌して、原告らの精神的苦痛を慰謝するには原告ら各自九〇万円が相当である。

4  一部弁済による控除

原告らが自動車損害賠償責任保険から支払いを受ける三五〇万円の二分の一にあたる一七五万円ずつを原告らの各損害賠償請求額からそれぞれ控除することは、原告らの自認するところであるから、右をそれぞれ原告らの各損害額である二八六万九、四〇〇円から控除すると、残額は原告ら各自につき一一一万九、四〇〇円となる。

5  弁護士費用

本件訴訟を提起するにあたり、原告らが弁護士彦坂徹尚および弁護士五十嵐義三に右訴訟の追行を委任したことは、記録上明らかなことである。ところで、本件訴訟における損害賠償の認容額である一一一万九、四〇〇円に本件訴訟の難易度その他諸般の事情を合わせ考えると、原告らが右両弁護士に支払うべき弁護士費用は報酬を含めて右認容額の約二割にあたる二〇万円が相当であると認められ、特段の事情もないので、原告らがこれを平等に負担したものと推認できるから、原告らはそれぞれ一〇万円ずつの損害をこうむつたことになる。そして、その弁済期は、報酬を含むものであるからその性質上この判決の言渡日であると推認することができる。

五、結論

以上の次第であるから、被告らは各自原告らに対しそれぞれ一二一万九、四〇〇円とうち弁護士費用を除いた一一一万九、四〇〇円に対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和四二年九月二一日から、うち弁護士費用一〇万円に対するこの判決の言渡しの日の翌日である昭和四五年五月二八日から、各支払いずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金とを支払う義務がある。

よつて、原告らの本訴請求は、右の限度において理由があるのでその限度においてこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 猪瀬慎一郎 太田昇 加藤和夫)

別表

<省略>

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